キラキラと輝くもの

音楽をやっています。お手柔らかに…

バンドはロマンだよ!たけだくんっ!

 

衝動的にブログを書くのをもうやめようと思いました。

(そもそもほぼ書かないブログ)

 

早いものでもうすぐで今年も終わるみたい

大好きな夏は一瞬でさってしまって

過ごしやすい秋はもっと一瞬で

これから長い長い冬が来ますね〜〜ヤダ〜〜〜

 

時候の挨拶はほどほどにしまして、

ツイッターーーで呟いた

(どうでもいいけど私がちょっと真面目な話をするときに

この伸ばし棒?をーーーーってつなげて書くの、古谷実スピリッツを

ガンガンに受けててちょっと恥ずかしい。手塚先生で言うとこの

ヒョウタンツギみたいな立ち位置か?)

 

 

【会社に勤めてたときにめっちゃ辛くて死のうと思ったんだけど、

その日にドレスコーズの新譜が出るって発表されて、ドレスコーズ

新譜が出る春まで生きようって思ったし、

春が来たらもう仕事は辞めていたし新譜は素晴らしかった。

何が言いたいかと言うとそういうミュージシャンでありたい】

 

っていうそれについてちょっと書いて行きたいと思います。。。はずかち

 

 

 

 

私はひたすら根性がないので、すこしでも耐え難いなってことが

起きるとすぐに「ああ...死にたい...」ってなってしまうんですよね。

 

これは精神が弱いからとかいう理由ではなくただ単純に

私に根性がなくてサボりぐせがついていて甘えているからです。

 

メンタルが弱いの〜〜ふええ〜〜とかほざいてる場合じゃないです。

だから絶対に私はそういうことを言いません。

滝にでも打たれたら治ると思います。

 

 

この死にたい癖というのが非常に面倒で・・・

急に仕事に行けなくなったり人に会えなくなったりします。

自分で警察に電話かけて「死にそうです!」とか言ってしまいます。

なのに知り合いには何一ついいません、言えません、いうつもりもないです。。

 

なんか知ってる人にそう思われるのは、恥ずかしいし

自分は自分で精一杯なのに「死なないで!」とか言われたら

お前に何がわかるんだよ!!!以外の何物でもなく解決にはならない

 

 

 

 

 

話は逸れましたが、

そういうことが前に起きたときのことです

 

私は当時住んでいた部屋が本当に本当に嫌いでした

 

古くてなんとなくどよーんとしていて、

目の前が大きな墓地で灯りはなく、横には廃人みたいな

おじさんが住んでいて・・・

というか私以外の入居者全員廃人みたいなおじさんでした。

なんでなんだ。

 

霊感とかはないんですが、とにかく生きてるだけで気が滅入る部屋でした。

 

 

私はカーテンを開ける癖がありません。

 

上京してから2年間、3.8畳の築40年越えにすみましたが

同居人が無理やりカーテンを開けたとき以外はずっと閉めっぱなし

 

なのでもちろんその気の滅入る部屋に住んでいたときも閉めっぱなし。

 

 

 

そのとき私は最大に悩んでいました

 

 

 

自分の今までの人生にしては上出来な会社に就職し

素晴らしい人たちと働けて仕事内容もきついけど

やりがいがあって好きでした。

子供達や保護者の方、そのほかのお客さんも優しくて

楽しかったんですが心の中ではいつも

「このままだと普通の人生になってしまう

もうバンドはできない」という思いが渦巻いていました

 

 

楽しいはずなのにめちゃめちゃ辛くて、

このままでいいのか?と思って気づいたらそんな苦悩から

逃げたい一心で自殺することばっかり考えていました

 

ホームに立って、何本も電車を見送って

「またダメだった、次来たら飛び込もう」

と思いながら何時間もいたり

 

完全に普通じゃなくなっていて、

でも誰にもいいませんでした

 

悩みがあれば聞くよーーとか、

そういうが本当に苦手なんです

 

この前病院で、考えていることを人に話したりできないので

(こういう文章とかだと大丈夫だけど対面で声で話すのが無理。

電話でも無理。なんならLINEも無理。ブログツイッターだと大丈夫)

自分の今の状態を説明できない

 

と紙に書いて渡したら「カウンセリングを受けましょう!』

って言われて心底腹たちました!!!!!!!!!!!!!!!

 

話せねえ奴がカウンセリングなんて受けれるわけねえだろ

お前hんとうに医者かよ

私はそう思いましたがなんも言えず、お金がないので今度にします

って言って、すぐに病院のトイレにこもって、泣きました

 

 

 

まあそんなんだったので誰にも言えなかったし

「仕事辞めたい」とは言ってたけど誰もきっとここまで

思い詰めてるとは思わないだろうしで

 

あーー今死んだらただ逃げた新入社員としか会社には思われず

家族や友達にはなんも気づかれず

1ヶ月ぐらい経ったときに「あの部屋から異臭がする」っていう通報で

この暑さでドロドロに溶けた私の無残な死体が発見されるんだ。。。

虫だらけだ。。。パソコンの履歴消しとこ・・・なんか恥ずかしいし。。。

 

とか思ってました。

 

 

 

 

ある夜に、本当に死のうと思いました

遺書代わりに、青島萌名義で弾き語り曲

フラワーカンパニーズを聴きながら」の歌詞とコードを

ぶるぶる震える手で書き、

ワンカップを7本飲んでブロンを1瓶飲んで

目がぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐる回って来て

 

 

そしていつもの癖で携帯とってツイッターを開きました

ツイッター廃人は死ぬ間際もツイッターをなぜか見るみたいです。

 

 

 

そしたらドレスコーズの公式が

来年の春にアルバムをだす。

それに伴うライブも行う。

 

 

とツイートしていたのです

 

 

 

 

私はどうしてもドレスコーズの新曲が聴きたくなりました

 

 

春まで生きようと思いました

 

 

 

ドレスコーズの新曲を聴いたら死のうと思いました

 

 

 

 

 

 

仕事はそれからしばらくしてやめました

大きな花束をもらいました

送別会で泣きました

 

 

もう一度東京に出てきました。

駅から遠い4畳半のワンルーム

窓もないんだけど

全く変な気持ちはしませんでした。

 

しばらく働けなかったけど、

なんとか新しい仕事につけました。

とても楽しいです。

 

 

 

春になって新木場コーストに

ドレスコーズのライブを見に行きました

 

 

周りがノリノリの中私は泣きました

めちゃくちゃ泣きました

 

雨が降っていたけど、なんとなく傘をささずに帰りました。

風邪を引いたけど、うれしかったです。

 

その次の週にフラワーカンパニーズを見に行き、

忘れらんねえよを見に行き、theピーズを見に行き、銀杏BOYZを見に行き、

 

 

 

 

世界にはたくさん辛いことがあって、

だけど「これがあるから生きてみようかな」みたいなことも

あるから生きていけるんだと思いました。

 

正直私は超有名ミュージシャンになって、

ポールマッカートニーの来日公演でOAやって

超イケメン超大金持ちと結婚して

でっかい庭ででっかい犬飼って毎日遊んで遊んで遊んで暮らしても

死にたい死にたい・・・って思ってしまうようなやつですが

 

ちょっと本気であの日のドレスコーズみたいに、

「めっちゃ死にたいけどマイサプの新譜が出るまで、

仕方ないけど生きてあげようかな」って

思ってもらえるようなミュージシャンになれたら、

それはどんな富や名誉や地位よりもきっと創り手として

素晴らしいことだな、と思いました。